2010年06月10日

自然から学び取ることを、風の音で学び取る

自然から学び取ることを、風の音で学び取ります

今の世の中は、すべてまちがっていますが、
どうしても、自分では気がつきません。

説明を加えない天を定むる時
其の大則を定むるの能力ありて、而して万殊事物の 活動に対し逐一に其の権宜(「権」は権利のことではなく「ひと. まず、さしあたり」という意味)を指示すること。(権宜之計”(嘘をつくのも時にはその場 をしのぐのに適当な手. 段)という)

律と権宜 --- 旧中国法の可変性と不変性(正しきものは不変性、正しくないものは、可変性である)

自己反省して服従の心を定 むる。

自己励み勉むるの 心を減ぜしむることなり。

定めて深心ならず。
苦心のうち、つねに心を 悦ばしむるの趣を得、得意の時、すなわち失意の悲しみを生ず。

自ら命ぜしめ、事をして自ら定めしむるなり。虚なれば則ち実の情を知り、静なれ . ば則ち動の正を知る。言有る者は自ら名を為し、事ある者は自ら形を為す。形名参同 すれ. ば、君乃ち事無くして、之を其の情に帰す。『韓非子』

耳中つねに耳に逆らうの言を聞き、心中つねに心に払るの事あれば、わずかにこれ徳に 進み行いを修むるの砥石なり。

非ずんば 則ち流放禽討、危を安んじ、傾けるを定むる能 あたわず。

「今天下乱れて人心定むることなし」
弔れまず昊天、亂定むること有ること 靡しとは、其れ此を之れ謂うか。故號天告亂 。
主の諸々の定めは真実にし て皆義なり。

これを助けて長ぜしむる者は、苗を堰く者なり。徒に益無きのみに非ず、而してまたこれ を害なう(そこなう)と。何をか言を知ると謂う。

その人の作った音楽を聴けば、道徳の高低が分かる。

所謂天爵を樂んで人爵を尊ばざる は、固より當然である。

語彙
古式に斟酌し権宜に依仮し臣を大司馬・漢中王に上のぼす 臣、伏して自ら三省するに、 国の厚恩を受け任を一方に荷い、力を陳べて未まだ効あらずして獲る所すでに過ぎたり。

漢王朝の不文律には、以外は 王に就けず!と云う大原則が在り。
「天を恐れ、民を敬う・その驕りの無い心根こそが仁徳と云うもので御座います。
秦王朝は、僅か15年にして滅んだ
そして眼の眩む様な金銀財宝の山と、息を飲む如き美女達が居た。諸将は宝物庫に殺到した。
財宝には眼もくれず、秦の重要書類・機密文書を持ち出し、のちの覇業の基と為す。その男も其れ等を自分の物にしようと欲望した。
。「秦の非道を正すべき公が此処に留まれば、秦の二の舞であり、人の心も離れてしまいます。

五行説の循環論に拠れば、白のシンボルカラー (金徳) の秦王朝は、赤のシンボルカラー (火徳) を持つ新王朝に滅ぼされる。

常に”運気”が立ち昇っているので何処に居られても直ぐに判るのです!その驕りの無い心根こそが、仁徳と云う、欲に走れば?
不満が爆発するのは時間の問題であり、余りに苛酷な其の方針に危惧や不安を抱く者達が多かったので在る。

高祖・劉邦の建国から 200年後、漢の王朝は 一旦 滅びた。【王莽】により簒奪され、〔新〕の王朝が始まる。王莽の政策は《周時代への回帰!》であった。日本にも影響を及ぼした、王莽貨幣が出土した。西暦23年10月に、長安で 緑林軍の手によって討ち取られ 新王朝は15年で滅んでいた。

みな世寵に馮より国権を藉履し、凶を窮め乱を極む。社稷ほとんど危し。 大舜・周公・朱虚・博陸に非ずんば 則ち流放禽討、危を安んじ、傾けるを定むる能あたわず。

日本では明治以降人神主なく、王命を遏絶し、皇極を厭昧し、神器を盗まんと欲す。本当は怖い日本国憲法の話

昔推古天皇以来皇后皇女即位の例なきに非ざるも、当時の事情を推原するに、一時 国に当り幼帝の歳長ずるを待ちて位を伝えたまわむとするの権宜に外ならず。之を 要するに、祖宗の常憲に非ず。

臣は臣たれ権宜(いつわり)も時の方便(嘘も方便)
必ずや「権宜表音」の情況があるはずである。漢語の原. 貌を比較的正確に近く復元することができる。

「権」. は権謀権宜の意
王允の「悪を憎んで義節を正し、如何なる時 でも決して権宜の計には従わなかった」と言う。
かくして叛乱が相継ぎ、国費は足らず国費は切迫し、時の急迫を 救うため、ついに権宜に裁断するようになったのです。
無駄を省き、冗漫な吏を除き、山野の豊饒を下々に与えること。

茶法のようなものは、むかしはなかった税です。始めて茶に税をかけました。『唐史』には、この年、銭四十万貫を得たとあります。
近代の税制消費税に見られるように、国民から、税を巻上げる事は、人心を危うくしてしまいます、世の中に不平不満が、沸き起こります。「権宜に裁断する」
それよりも冗漫な吏を除き、山野の豊饒を下々に与えることが大切である。

むやみに官僚を登用しないこと。古代は郷里に推薦された人材を官吏として用いておりました。士君子は家で振る舞いを修めた後、朝廷に推薦されたのです。

古来のしきたりに戻されるべきです。昔のとおり、有司に任されるのがよろしいでしょう。
僧尼を退け、疲弊の民を損なわないこと。太古にはただ〔士・農・工・商の〕四つの民がいただけでした。
兵はその中に入っておりません。太古には井田の法があり、農はそのまま兵でした。秦以来、武人は農業に務めなくなりました。
しかし兵器を手に社稷を守ることは、道理として除くことができません。

盛徳の帝王といえば、誰しも堯舜を言うでしょう。その時代、契は司徒となり、咎繇は士となり、伯夷は礼を司り、后夔は楽を司り、禹は黄河を治め、益は虞官でしたが、各々に職務を全うさせました。

「天子は宰相を選び、宰相は官庁の長官を選び、長官みずから属僚を選ぶ。かくすれば上下に疑惑が生じず、政務も正しく行われます」「物事の道理を弁えた人」
古代の循吏の政事は神霊に感応したものです。

権宜之計 を循しなかった,是がために以って?下は甚だ之に附かないことになったのである。








posted by kisan at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 風の音を聞く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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