2007年06月21日

『知られることを忌む風習』

風習 (ふうしゅう)
用語解説1 風俗習慣。ならわし。しきたり。
言葉には少々説明が必要です。風俗習慣で知られることを忌む風習を説いた。
季節によって慣習的に繰り返し行う伝承的行事を示す。
日本人と親しみ深い繰り返し行う伝承
日本人と塩は清めるというあつかい方で、習わしが残る。

『実名を知られることを忌む風習』古代中国で信じられていたある呪いに関係しています。
他人に実名を知られてしまうとこの呪いに使われてしまう可能性があると恐れていた

姓"は生まれた一族によって既に決まっており、"名"は親がつけます。対して"字"は成人後に自ら決めることができました
 同様の習慣は日本にもありました。

古来は演義でも」「古事記」の解読が出来ないのも、風習の意味がなくなったという、概観が取り除かれた為に、極めが、失われたからでしょう。

演義"という呼称さえ理解できなくなっています。
古来の姓名のように、変わるというなぞめいた風習こそ、知られることを忌む風習なのです。
徐庶という人、演義でははじめ単福という偽名で登場、中国では"単"というのは姓ではなく「特に自慢するほどの家柄ではない」という意味を表している

風習は形を変えて知られることを忌む風習なのです。
例えば邪馬台国も然り、これも知られることを忌む風習なのです。
出典が二つあること、武帝は仏教に執着したので、魏志倭人伝と比べれば、それ以前の風習神の世界で、作成している、それを鵜呑みで信用すると、この風習知られることを忌む風習で書かれた、意味が解読できません。
故事成語聞くとなんとなく由来がわかってきます
夏王禹と日本古来の天の御中主
天の御中主とウガヤフキアエズ
ウガヤフキアエズと神武天皇
神武天皇と天智天皇
天智天皇と桓武天皇
桓武天皇と後白河天皇
後白河天皇と後鳥羽上皇
後鳥羽上皇と頼任親王児島宮
児島宮と天孫
屈辱を「 会稽の恥 」と言います
児島高徳が故事成語を取り上げた理由は風習として、残して伝えるという、解読によっては、仏に類する者は解読出来ないが、神に付属する者ならば、解読が出来るという、風習を残している。


呉王夫差(ふさ)仏と越王句践(こうせん)神も二人にはいずれも、風習を残している。数回は書ける、故事成語
「 死屍に鞭打つ 」は「 死人に鞭打つ 」の出典になった話で、史記・呉太伯世家に載っています。
越王句践が呉を滅ぼすと、范蠡は句践を「 苦しみを共にすることはできるが、楽しみを共にすることはできない 」「 飛鳥尽きて、良弓蔵(おさ)められ、狡兎死して、走狗烹(に=煮)らる 」と述べています。屈辱を「 会稽の恥 」と言います


お雛さまや鯉のぼりなどを飾る風習
殉死と埴輪
垂仁天皇は、古来からの殉死という蛮風を排したという伝承があるが風習は残した。
殉死者は数日間も死なず、昼となく夜となく泣き悲しんだ。そしてついに死ぬと、その腐爛した死体に犬や烏が群らがって喰み散らした
これよりのちは殉死の風習は止めることにしよう
そしてこれからのちは、この土偶をもって生きた人のかわりに陵の周囲に立てることにしたらいかがでありましょうかと奏上した。天皇は大いに喜んで、それらの土偶を皇后の陵のまわりに立てさせたという。この土偶を埴輪(はにわ)というのである。埴輪と殉死風習

仏の風習儀礼という意味合いが強く、十三夜もその点では同様です。
やはり、十五夜に月見をしたら十三夜も月見をしないと片見月になると言って、嫌われました

風習とはどんなものか。知られることを忌む風習

posted by kisan at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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