2007年07月22日

日本人は人間本来の姿を取り戻せるか?

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人間と文明の日本の言語は如何なるものか?
人類は、人間と文明の真の意味を問い質す
文明とは諸現象によって体現される、人類の、発展段階を構築する。
次元から考察する。

日本人は人間本来の姿を取り戻せるか?
一度なくしたものは元には中々戻りにくいのです。
すなわち、文明こそ人間の証しである。
これが人間と文明の原点、になっている、事はまだ人間が説ききれていないのである。
これには歴史の原点から見直さなくては、見えてこないでしょう。
されど、近代でも歴史の原点を解いた人はいない。
見えて居ないという事は、人間本来の姿がみえないからである。
著者はこの観点を見つけ出した、そして児島宮歴史研究会から、この論文で発表するのが、世界で最初になろう。
人間本来の姿とはどういう事なのか?

最初に人間が誕生した時に、かえり、そこから見出さなくてはならない。ここでの人間誕生はどのように記されているか、ここでは古代のシュメール人を参考に取り上げよう。
シュメール人こそ人間を紐解く謎を秘めているからだ。
地球上で野生動物に混じり、ひときわ、秀でたのが、神を懐く人間であった。
人間の姿はここから生み出されていました。世界の中には色々な人種が、あるが、これらの中で真の神を懐く、まだ動物の類であろうが、神が籠もると、そこに神が宿りました。
ここに動物の類から人が誕生したのです。
それがウバイド風習のメソポタミアに住む、シュメール人でした。
このシュメール人は都を造ったと記されています。そしてその中でもとも人間を生み出す力の神殿を築き上げました。
それからこの国は大発展を遂げ、次第に野生人がこの国を目指して集まってきました。
これからが人間が誕生していく行程になります。人とは人間を生み出す力の神から、起こったという訳です。
人間はこの神からいろんなものを取得し、或は覚え、そこに文明が築かれたのです。ここで文明の語源さえも未確認状態というわけです。
いろんな解釈は想像で空想になっています、それは神が宿っていないのですから、見えるはずはないでしょう。
これが人間の姿という訳です。

神からいろんなものを取得し、或は覚え、そこに文明が築かれた
文明とは神の中にあるもので、現代のように日本人に神が宿っていなくては、到底文明とはなりません。
現代人は神が宿っていないとしたら、それさえ気づいていないでしょうし、きづく事も出来なくなっているという事になります。
神が宿るの語源はまだ、辞典を探してもみつから、ないでしょう?それは見えないものだからです。
そうです見えない物は神の姿です。
昔は神国日本とされ、尊まれてきましたが、西洋からの明治革命を持ち込んでからは、神々は疎まれるようになり、禁止され排除されたのですから、この国には人間の姿は消えてなくなったという事です。
未だに児島宮に参詣に訪れたという事は聞いておりません。
日本の古代はここ夜須に神が降臨されてから、日本の名がついたのですが、惜しい事には誰も振り向く者さえいなくなりました。
ここにはですから人間はこの国から消えて、なごりだけの姿しかないという事です。
それは児島宮は日本人を日本という国にまで、なしとげていたのに、この地に住む者が尊むどころか、西洋の憲法に定める税金まで、取り上げています。
この事は神を守る者から神に税金を掛けるという、事が現実にあるのです。
だからこの国には人間魂はないのです。
生きる為に何を守り何の為に、税金の負担を強いられるのか?


日本のすべてを打ち消している現代
日本の地名は神が創造から造られたものであるが、人間が地名を民営化といい、変えたのは、歴史上ではじめてになる。
これは現代人が神よりも、偉いという意思表示でのことなのだろう?
道州制も民営化の一旦とされるが、これも神の作り上げられた九州の地名まで、消そうとしているのは明らかである。
人間は神よりも優れているのだろうか?

皆さんはどう思われるであろうか?






posted by kisan at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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