2007年12月28日

祭礼、『四熊斎』

新年を迎えて、祝うなど、現代では、どうでもいいと、なっているのです。
これは人間の、根幹が無くなった事を、示しています。
昔の話しと、ほおって、いては、
まちがい、です、昔は、(習わし)ならわし、をきちんと、守っていたので、らしさ、がそなわって、人間としての、価値感が出来たのです。
これが今と昔の違いです。

比べるという事を、現時世ではやりませんね、これが価値観のもとも、重要かつ、大切なものです。
ですからこれが良いといっても、聞き分ける事が出来ません。
現時世では、これが、まったく、受け付けなくなったと、いう事です。
日本人の、概観がなくなっている代わりに、現代はどうなって、いるのか?さえも
判らなくなっているのです。
だから良いのか悪いのか、判断が出来ないのです。
新年にあたりも、いままでと何等かわりがないと、ほおっています、これが実は、一番危険なことなの、
です、
これは何かと言いますと、悪魔に先導されている、という事になります?
あなた自身に悪魔がのりうつって、いるといっても、馬鹿馬鹿しいと、ほおって、しまうでしょう。
実はここに、危険がまちかまえて、いるとは、気が付きません?
ここには出来ない現代人の悩みがあります。

これを、現時世では直す事ができる、のは、福岡県朝倉郡筑前町篠隈前田にある児島宮の、元旦
に、行われる祭礼、『四熊斎』でしか、変えることが、出来ません?
高くつくか、安くつくかは、みなさん次第です祭主。
これも、あてにならないと、見過ごしてしまうと、ほおっています「児島神」となり、あなたの、すべては
、何もかも、良いのか悪いのか、判断が出来ないのです。
これは原点が、ある、と、ないの、(判断が出来ない)になるのです。
これでは、現時世のままでしか、ありません。
そうです神々は、自分勝手な人には、ききいれなくなり、人間の価値感を、二度と与えてはくれない
でしょう。
人間の価値感を変えるのは、あなた自身のことなのです。
昔のことばに、教訓とありましたが、この教訓とは、見習うという意味があり、現代教育のような、教え
るとは、意味が違います。
この、みならふ、の語源が、習わしです。

比べるという事は、現代憲法での人間はみないっしょ、の人権とは、違い、選んで決めるのは、あなた、
自身です。
この選んで決めるには、比べるという事が、人間だけが持たなければ、ならない、概観なのです。

ここで、現代の間違いを上げると、現代は何事にも良し悪しは憲法で決めてしまいます。
これが一番間違いと、児島宮から公表していますが、誰一人として、聞き入れていません。
ですから、現代はことの、良し悪しが、判断がつかないのです。
これを迷道(迷い)と、いいます、憲法自体がそうなって出来ているのです。
ここに、憲法が正しいから、児島神のいう事等、あてに、しないと、なっては、何も判断出来ないに、な
るか?どうかは?あなた次第です。
選んで決めるのは、あなたしか、おりません?


posted by kisan at 12:32| Comment(0) | TrackBack(2) | 祭礼、『四熊斎』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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